弁護側の証人:小泉喜美子
ミステリーファンの間では古典的名作として名高い作品。
文庫本で復刻されたと聞いていたのですが、出張先の東京の書店で偶然発見し、早速買ってみました。
読んでみると大納得。一発で作品に魅了されました。
旧家の離れで起きた財閥当主の殺人事件。
主人公はその家の御曹司(後に分かりますが、実は相当の放蕩息子)に嫁いで来たばかりの妻。
物語りは、一審で死刑判決が言い渡された後の、拘置所での夫婦の面会の場面から始まります。
金網越しの短いキス。
「控訴だってどうせ同じだ。今となって、ぼくらになにができるというんだ」と投げやりに全てを諦めようとする夫。
そんな夫を前にして、「澄んでさびしげな光をたたえているあの眼」「あれが人を殺した男の眼だろうか」と複雑な思いを抱きつつも、「まだ控訴も上告もあるわ。わたしは決して諦めない」と気丈に振る舞う妻。
冒頭部分から強い緊張感が伝わってきます。
そして妻は、一審の裁判中に気づいたある事実から真犯人の手掛かりをつかみ、新しい弁護士に依頼して真犯人探しを始める・・・というのが主なストーリーです。
章ごとに、三人称で2人の出会いから結婚、事件に至るまでの経過を客観的に記述するパートと、一人称で主人公が事件前までを振り返るモノローグ形式のパートが交互に繰り返され、それによって、登場人物相互の関係や被害者及び財閥を巡るそれぞれの思惑、関係者の間に沈殿する複雑な情念などが少しずつ浮かび上がります。
実は、この叙述形式にも作者の工夫があるのですが、読者はひとまず、どろどろとした情念の世界に引き込まれます。
誰が当主殺しの真犯人なのか・・・。
それをどう証明するのか・・・。
「弁護側の証人」とは一体誰なのか・・・。
物語の緊迫感が最高潮に達したところで、いよいよクライマックスの控訴審へ。
ここで、いわゆる大どんでん返しが待っています。
天地がひっくり返るような驚き、あるいは、崖の上に立たされているときに足元の崖が砂になってさらさらと崩れていくような喪失感、そんな感覚に一挙に突き落とされました。
なるほど、そういう訳か・・・。
そう言われてみると、巧妙な伏線が幾重にも張り巡らされていたことに、後になって気づかされます。伏線の余りの巧みさに、もう一度最初からほとんど読み返したくらいでした。
更に驚きなのは、この本が書かれたのは昭和30年代だということ。今も全く古さを感じないばかりか、トリックの巧みさは現在でもむしろ目新しさすら感じさせます。この時代にこんな意欲作を書いていたなんて、作者は天才ですね(ただ、残念なことに1985年に逝去されているそうです)。
読みやすいので通勤電車でもすぐ読めます。是非、ご一読を。