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事件は誰のもの?

まだ若手弁護士の頃、よく、依頼者の希望する解決と、現実的にできそうなこととのギャップに悩まされたものです。

一番顕著に現れるのが、訴訟の中である程度の和解案が示され、それに応じるかどうかという場面です。

弁護士の立場からすると、敗訴判決をもらうのは最悪の結果なので、何としてもそれは避けたいと思っています。判決になった場合の見込みというのは意外と分かるようで分からないもので、思いもよらない負け判決をもらうこともあるものです。

また、仮に勝訴しても控訴されると更に時間や費用がかかるとか、強制執行でどの程度回収できるかという心配もあります。

そんなこんなを考えると、ある程度の線で和解で解決したいというモチベーションは弁護士側には常にあると思います。

もちろん、弁護士側の都合だけではなくて、多少譲歩しても早く解決して新しいことに目を向けていただく方が依頼者のために良かれと思う気持ちもあって和解を勧める訳ですが、でも、依頼者はそれで納得してくれないことが少なくありません。

そんなときの対応に、若い頃は苦慮したものでした。

当時の年配の弁護士さん方は、それでもかなり強く依頼者を説得して和解させる場合があるようでした。それはそれで、プロとして、本当に依頼者のためを思って強く説得するのですから1つの見識だと思います。でも、稀に、「うちの弁護士は何もしてくれなかった」「弁護士に勝手に決められた」といった不満の声が(弁護士会の法律相談のときなどに)聞こえてくることも当時はありました。

私は、最近は、そんな状況のときに「事件は誰のもの?」と自分に問いかけてみることにしています。言うまでもなく、事件は依頼者ご本人のものに決まっていますが、我々はプロとして最善の事件処理にこだわる余り、時としてこの当たり前の答えを見失ってしまいがちなんだと思います。その結果、依頼者の本当の気持ち(依頼者は全て本心をさらけ出してくれるとは限りません)に気づかず、弁護士の独りよがりになってしまうこともないとは言えません。依頼者は表面上納得してくれているようでも、心の中に不満が募っていることもあると思います。

仮に和解案を蹴飛ばして、結局負け判決をもらうことになったとしても、そのリスクを十分説明した上で、依頼者ご本人の希望でそうしたのであれば、それはそれで仕方がないことですし、その場面ではそれが最善の事件処理なのだと思います。

中途半端に不満を残したまま無理やり和解するよりも、きっと依頼者も納得してくれる筈ですし、こちらが誠実に事件処理をしていれば、必ず理解してもらえると思うのです。

負け判決をもらった後でも、控訴して和解協議に持ち込むこともあり得ますし、解決の方法はいろいろあると思います。要は、必要以上に負け判決を恐れないことが大事なのではないかと思います。

依頼者のために最善を尽くしながらも、ときどき立ち止まって「事件は誰のもの?」と問いかけてみることが、依頼者との信頼関係を強くすることにつながるのではないかと思います。

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