F先生のこと①~仙台弁護士会会報より~
仙台弁護士会の会報には、毎年1月号に「年男・年女からひと言」という特集記事が掲載されます。私も8年前の年男のときに原稿を書きました。今年の会報を読んでいたら、何となくそのときのことが懐かしくなりましたので、当時の原稿をアップしたいと思います(決してネタ切れな訳ではありません(笑))。
その半年くらい前の会報に「私の故郷」という記事を書いており(「仙台弁護士会会報より」のカテゴリーでご覧いただけます)、この記事は図らずも「津軽シリーズ」の第2弾になりました。
長いので3回に分けます。
------- 以下、転載 -------
「年男・年女よりひと言~F先生のこと~」
F先生は私が小学校4~6年のときの担任の先生である。
当時私は、青森県弘前市から30キロ位北にある五所川原市に住んでいた。
先生は40代半ばで、体が大きく、銀縁の丸眼鏡がトレードマークだった。教育熱心で一生懸命に教えてくれていたが、私を含め、反抗期に差しかかっていたクラスの悪ガキたちは先生の言うことを聞かず、いつも先生とぶつかっていた。
私は、成績的には一応優等生だったので、学級会長などクラスのまとめ役のようなことを期待されていたようだったが、そう思えば思うほどそれに従いたくなく、いつも先生に楯突いていた。その癖、ひどい泣き虫だったので、少し怒られるとすぐに泣いては先生を困らせていた。
悪いことをしてF先生に怒られるときには、よくビンタが飛んできた。当時はそれが普通だった。
先生のビンタは普通と違い、まず左手で相手の頬(ビンタするのと逆側)をつねって顔面を固定し、その状態で右手でビンタを張ってくるのだった。そのため、やられる方はつねられる痛みとビンタの痛みでダブルパンチになるので、我々悪ガキたちも、表面上は怖くないように装っていたものの、内心はとても恐れていた。
このビンタへの対抗手段として、平手で打たれる瞬間に頬をぷっと膨らませて空気を貯め、衝撃を緩和するというウラ技を編み出した奴もいたが、膨らませ過ぎると先生にばれてしまい、怒られて更にビンタを食らうのだった。
(続く)
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