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2009年2月の5件の記事

仙台弁護士会定期総会なんとか終了!

土曜日、今年の定期総会がなんとかかんとか終了しました。

弁護士会の定期総会と言えば、我々弁護士にとって年に一度のお祭りみたいなものです。

午前9時30分にスタートし、昼食・休憩を挟んで、次年度役員選挙まで、全部終わったのは何と午後6時!ホントに毎年思いますが、仙台弁護士会はみんな議論が大好きな人ばっかりです。

今年は議案が1件否決されてしまいました。それも73対70という僅差。

やっぱり仙台弁護士会の皆さんは甘くないですね~。ちょっと残念でした。

でも、とにもかくにも、1年間の集大成であり、執行部みんなで準備してきたものですから、これはこれで良しとしたいと思います。

すっかり肩の荷が下りた気分です。

終了後の懇親会のお酒は少しほろ苦かったものの、会員の皆さんに労をねぎらっていただき、とても楽しいお酒でした。

次年度執行部のみなさん、4月から頑張ってくださいね。

仙台弁護士会定期総会前夜

明日はいよいよ仙台弁護士会の定期総会です。

定期総会は、今期執行部の総仕上げに当たるものですから、是が非でもスムーズに進んで欲しいところです。

私の担当は予算・決算とそれに関連する事柄が主なので、多分それ程揉めることはないと思うのですが、なにしろ310人(執行部を除くと301人)の仙台弁護士会全員が相手なので、気は抜けません。

総会準備のため、年明けからはいつも頭の片隅に予算決算の数字が渦巻いているような状態でした(笑)。

それもこれも明日で終わると思うと、感慨深いものがあると同時に、いやが上にも緊張感が高まってきます。

とにかく無事終わってほしい、そして、早くおいしいお酒が飲みたい・・・。それだけが願いです。

どうなるかなぁ・・・。ドキドキ・・・・。

F先生のこと③~仙台弁護士会会報より~

 引き続き、平成13年の仙台弁護士会会報「年男・年女よりひと言」に掲載された私の原稿を転載します。今回で最後です。全部お読みいただいた皆さん、どうもありがとうございました。<(_ _)>

------- 以下、転載 -------

 26才のとき、私は結婚した。披露宴を弘前市で行うことになったが、その際、父の強い要望でF先生もお招きすることにした。父もやはり教員をしていたので、何かとF先生とお付き合いもあったらしく、是非呼んであげて欲しいということだったのだ。

 披露宴当日、先生と14年ぶりに再会した。先生はちょうどその年限りで定年を迎えるということであった。丸眼鏡はそのままだったが、頭はほとんど白髪になっていた。昔、あんなに大きく見えたのは錯覚だったのか、先生はすっかり小さくなっておられた。最後まで管理職にはならず生涯一教員を貫かれたらしく、それもまたF先生らしいなと思った。

 披露宴が始まり、F先生の祝辞の番になった。先生は、お約束通り、新郎に対する大げさな誉め言葉を並べた後で、

 「K君(注:私のこと)が弘前に転校することになってクラスで送別会をしたとき、生徒の1人がこんな絵を描いて黒板に貼りました。その絵がありますのでご披露します」

 とおっしゃって、手にしていた白い大きな模造紙を広げて客席に示した。

 その絵には、親亀の上に子亀、孫亀といった風に亀が何匹か積み重なって、五所川原市から弘前市に向かって歩いて(這って?)行く様子がマジックペンで描かれていた。もちろん、亀の親子は私たち家族を指すものであり、亀の後方に描かれている建物は、去ってゆく小学校を表すもののようであった。

 遠い記憶なのでさだかではないが、そう言われてみれば確かにクラスで送別会をやってもらった記憶はある。そのときに誰かがそんな絵を描いてくれたのかも知れない。だから、その話自体はあながち嘘ではないように思われた。

 しかし、仮にその話が本当であったとしても、14年も前のマジック描きの模造紙の絵をずっと保管していたとは到底思われない。先生はその後も毎年多くの生徒を送り出しているのである。

  何よりも先生が広げた模造紙は色褪せもなく真っ白で、折り目やシワもなく、ホコリも被っていないきれいな紙で、とても14年前のものには見えなかった。

 私の目にはどう見ても、前の晩にでも、先生が昔のことを想い出しながら自ら描いて下さったもののようにしか見えなかった。
 
 私は、その紙の白さに胸が詰まった。
 
 先生に教わっていた頃の俺は、弱虫で卑怯者で、そのクセ優等生のプライドばかり強い小賢しい奴で、先生にだって随分ひどいことをしたのに・・・

  そう思ったら、涙が込み上げてきて抑えるのに必死だった。

 場は和やかな笑い声に包まれたが、私1人顔を上げることができずに下を向いていた・・・。

 その年を契機に、3~4回年賀状を取り交わしたであろうか。F先生は突然亡くなられた。朝、父からの電話でそのことを知らされた私は、葬儀に参列するという父に、私の分の香典も一緒に供えてもらうよう頼んだ。
 後日、ご遺族の方から、お香典返しと共に丁寧なお手紙をいただいた。それには、「父は生前、自分の教え子の中から弁護士が出たことをたいそう誇りにしておりました」と書かれてあった。

 私は今年、三度目の年男を迎える。最初の年男の頃はどんなことをしていただろうと考えていたら、F先生のことが想い出され、どうしても書いておきたくなった。

 F先生のご冥福をお祈りします。

(終わり)

F先生のこと②~仙台弁護士会会報より~

引き続き、平成13年の仙台弁護士会会報「年男・年女よりひと言」に掲載された私の原稿を転載します。

------- 以下、転載 -------

 F先生に対してとても申し訳ないことをしてしまったとずっと心に残っている事件がある。

 多分6年生の春頃のことだったと思うが、クラスでニワトリの卵を育ててひなをかえそうという話になったらしく、先生が有精卵を教室に持ち込んでおられた。「なったらしく」というのは、偶々私はそれが決まった日に風邪か何かで休んでおり、そのことを知らなかったのである。

 教室の隅のロッカーの上に、ビニール袋に入った卵が台座に乗せられて置いてあったのだが、教室に生卵が置いてあるなどという事態は小学生の私の想像を遙かに超えるものであった。

 休み時間に近くを通りがかった際、何だろうと思い、持ち上げてみた瞬間、パキャッと音を立てて卵は割れてしまった。まさかそれが生卵であるとは思っていないので、指先の力が強すぎたのである。

  私は一瞬頭がパニックになった。しかし、幸いなことに卵はビニール袋に入っているために辺りに飛び散ったり汚れたりすることはなかった。

 丁度、近くに人もいない。

 私は少し迷った末に、割れた卵の入ったビニール袋をそっと台座の上に戻し、早足で自分の座席に戻った。

 少しして、後ろの方から、「卵が割れてる」という誰かの大きな声が聞こえた。

 授業時間が始まると、F先生は、「卵を割った人は正直に名乗り出るように」と皆に呼びかけた。しかし、私は、名乗り出るとビンタを食らうのではないかという気持ちと、自分は優等生なのにこんな失敗をしたのがばれると恥ずかしいという気持ちから(多分、後者の方が強かったと思う)、とうとう名乗り出ることができなかった。

 沈黙の時間が過ぎた。先生は、クラスの誰も名乗り出ないことに少し悲しげな表情をされたが、それ以上追求することはせず、その件はそれで終わりになった。

 6年生の12月、私は卒業を目前にして弘前市に転校した。F先生とはそれっきり連絡を取ることはなくなった。

(続く)

F先生のこと①~仙台弁護士会会報より~

仙台弁護士会の会報には、毎年1月号に「年男・年女からひと言」という特集記事が掲載されます。私も8年前の年男のときに原稿を書きました。今年の会報を読んでいたら、何となくそのときのことが懐かしくなりましたので、当時の原稿をアップしたいと思います(決してネタ切れな訳ではありません(笑))。

その半年くらい前の会報に「私の故郷」という記事を書いており(「仙台弁護士会会報より」のカテゴリーでご覧いただけます)、この記事は図らずも「津軽シリーズ」の第2弾になりました。

長いので3回に分けます。

------- 以下、転載 -------

「年男・年女よりひと言~F先生のこと~」

 F先生は私が小学校4~6年のときの担任の先生である。

 当時私は、青森県弘前市から30キロ位北にある五所川原市に住んでいた。

 先生は40代半ばで、体が大きく、銀縁の丸眼鏡がトレードマークだった。教育熱心で一生懸命に教えてくれていたが、私を含め、反抗期に差しかかっていたクラスの悪ガキたちは先生の言うことを聞かず、いつも先生とぶつかっていた。

 私は、成績的には一応優等生だったので、学級会長などクラスのまとめ役のようなことを期待されていたようだったが、そう思えば思うほどそれに従いたくなく、いつも先生に楯突いていた。その癖、ひどい泣き虫だったので、少し怒られるとすぐに泣いては先生を困らせていた。

 悪いことをしてF先生に怒られるときには、よくビンタが飛んできた。当時はそれが普通だった。

 先生のビンタは普通と違い、まず左手で相手の頬(ビンタするのと逆側)をつねって顔面を固定し、その状態で右手でビンタを張ってくるのだった。そのため、やられる方はつねられる痛みとビンタの痛みでダブルパンチになるので、我々悪ガキたちも、表面上は怖くないように装っていたものの、内心はとても恐れていた。

 このビンタへの対抗手段として、平手で打たれる瞬間に頬をぷっと膨らませて空気を貯め、衝撃を緩和するというウラ技を編み出した奴もいたが、膨らませ過ぎると先生にばれてしまい、怒られて更にビンタを食らうのだった。

(続く)

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