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KYという言葉について

何回か前の記事にも書きましたが、KYという言葉は好きな言葉ではありません。それどころか、こういう言葉が広く浸透すること自体に、背筋が寒くなるような感覚を抱かざるを得ません。

まず、第一に、「空気」という言葉によって表される多数意見の押しつけが、酷く窮屈に感じます。きちんと正当な理由によって相手を説得することを放棄し、多数者であるという無言の圧力によって、相手を踏みつぶしてしまおうとするようで、しかも、そんな横暴さに自分たち自身が気づいていない無頓着な残酷さを感じるのです。

次に、そもそも、「空気」の正体が本当に多数意見を反映しているのかというところにさえ、疑問を禁じ得ません。えてして、誰か1人又は数人の強者の意見が集団の雰囲気を支配してしまうことは起こりがちです。そのような場合に、「空気を読め」の一言で、理不尽な集団の支配を更に強固にしてしまう、理屈のない支配を正当化してしまう、そんなことが現実に起こってはいないのでしょうか。そうだとすれば、一種の暴力による支配であり、民主主義の否定と言えるでしょう。

そんな大げさな・・と思われるかも知れませんが、私は「KY」という言葉が、戦時中の「非国民」という言葉と通じるものがあるような気がしてなりません。異質なものを排除する論理、しかも、きちんと理屈で説得するのではなく、雰囲気という曖昧な力によって支配してしまう横暴さ、それは静かに広がっていく怖さを常に伴っているように思います。

近時、表現の自由の弾圧のような事態がいくつか散見されるようになってきているのは、こういった社会の風潮と無関係ではないように思います。

表現の自由の問題については仙台弁護士会も会長声明を出しています。

http://www.senben.org/senben/seimei/20-01.html

たとえ間違った意見であっても、社会の圧力に押しつぶされることなく、きちんと言論や表現の自由が保障される社会であって欲しいと思います。

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