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私の故郷 津軽④~仙台弁護士会会報より~

引き続き、平成12年の仙台弁護士会会報に投稿した記事からの転載です。

最終回は中学・高校時代を過ごした弘前市(ひろさきし)のお話です。

長い拙文、最後までお読みいただき、どうもありがとうございました

<(_ _)>

---- 以下、転載 ----

5 弘前市(ひろさきし)
 弘前市は古くから津軽の文化の中心だった町である。気候も(津軽の中では)比較的穏やかな方で、米作とりんごの生産が盛んである。高校生位になると春にりんごの花粉付けのアルバイトにありつけることもある。
 ゴールデンウィークの頃は弘前城公園の桜が見頃になる。ここの桜はとにかく木の数が他とは比較にならない位多い上に、お城と岩木山のコントラストが美しく、本当に見事である。夜桜ともなると、ライトアップされたお城をバックにはらはらと桜の花びらが舞い散る様子は正に幽玄の美といった趣で、日本人の琴線をくすぐる要素が全て揃っているのではないかとさえ思う。 

 「ねぶた」と「ねぷた」の違いは仙台弁護士会の皆さんもきっとご存じと思うが、「ねぶた」は青森市で行われ、武者人形型をした灯籠を引きながら踊り手がダイナミックに踊る(ハネると言う)ものである。世間一般に有名なのはこちらである。弘前の「ねぷた」は、扇形をした(人の形はしていない)箱形の灯籠に武者絵が描かかれたものを引きながら静かに町をねり歩く。踊りはない。かけ声も「ラッセラー」という威勢の良いものではなく「ヤーヤドー」と低くうなるような調子である。「ねぶた」に比べると万事派手さには欠けるので観光客の人気もやや劣る。しかし、扇の正面の勇壮な武者絵が笛の音やかけ声と共に次第に近づき、それが過ぎたと思うと「見送り絵」と呼ばれる裏面の美人画が少しずつ揺れながら遠ざかっていく。その様子はとても情緒的で、過ぎゆく夏を惜しむかのような哀愁がある。私はどちらも大好きである。

 さて、私が卒業した弘前高校では、学園祭でねぶたの運行がある。あえて「ねぶた」と書くのは、弘前型の「ねぷた」ではなく、青森型のものを作り、派手にハネながら運行するからである。
 毎年1学期が終わる直前の7月下旬に学園祭があるが、ねぶた運行はその前夜祭として行われる。1年から3年まで各クラスが1台ずつねぶたを自作し、それを引くのである。前夜祭とは言うものの、生徒にとってはこっちの方がメインイベントである。前期試験が終わると、校舎の中庭に即席のねぶた小屋(丸太を組んで長屋風に縦割りにしたもの)が作られ、クラス毎に1区画が割り当てられてねぶた製作が始まる。運行までの2週間程はもはやねぶた一色で勉強どころではない。授業が終わるとそれぞれ作業着に着替えてねぶたを作る。私の頃は「つなぎ」を着るのが流行っており、クラスでお揃いのを作ったり、白地のつなぎを買ってカラフルに染めて着たりするのが流行っていた。私はエメラルドグリーンのつなぎであった。

 作業の基本は放課後で、朝は確か7時頃から学校に来て作業をやって良いことになっていたと思うが、生徒は次第にエスカレートして朝4時や5時に学校に来てこっそり作るようになる。そうなると保護者や世間の方々からクレーム来るので、先生が見回りをしており、見つかるとえらく怒られた。
 そこで生徒側は代表で見張りを立てて先生が来るとすぐに隠れたりするのであるが、すると更に先生の方では知らぬ顔をしていきなり2階の窓から顔を出して隠れている奴らを見つけるなど、ドリフのギャグさながらのいたちごっこが繰り返された。
 私は一度、ねぶた作りの帰り道、友人から「明日は午前1時に行こう。迎えに行くから」と言われ、てっきり冗談だと思って「おお、そうしようぜ」などと言ったところ、本当に夜中の1時に呼び鈴を鳴らされたことがあった。慌てて飛び起き、事情を知らない父が玄関で友人に何か説教を始めようとする脇をくぐり抜けてそいつと一緒に自転車で学校へ突っ走った。

 朝の楽しみはもう1つある。クラスの女子が、ばかみたいに朝飯も食わずねぶたを作っている男子のために、誰かの家に集まっておにぎりを作って持って来てくれるのである。そのおにぎりを食べるのは男子全員の楽しみであった(みんな照れくさいので感謝の言葉などまともに言わないのであるが)。
 しかし、若さとは残酷なもので、せっかく好意で作ってくれたおにぎりを前に、失礼にも、クラスのマドンナ的存在の女子が作ったものはどれかと詮索し始める奴らも現れるのである。「ノリで巻いてあって中身がシャケの奴が○○ちゃんの作ったおにぎりらしいぜ」などというもっともらしい噂がこそこそ飛び交い、真偽の程も定かでないのにそれを奪い合ってじゃんけん合戦を始めたりするのであった。そんな男達の姿を、女子はさぞかし呆れて見ていたことだろうと思う(ちなみに私は・・・ノーコメントということで)。

 いよいよねぶた運行の日。ぎりぎりまで最後の仕上げ作業をし、それを終えると浴衣に着替える。そして、苦労して作ったねぶたを交替で引きながら、笛を吹き、かけ声をあげ、思いっきりハネる。カラースプレーで髪を染めたり、目の上にはアイラインを引いたりもした。今で言う「ビジュアル系」のハシリである(まあ、顔はともかく)。地元では弘高ねぶたと言えばそれなりに有名なので、沿道には見物客も結構おり、その視線を意識しながら派手にハネる。友達と手を取り合いながら、あるいは1人で、若さを爆発させるように、何も考えずひたすら踊りまくる。「世界中がきらきら輝いて見える瞬間」というものがもしあるとしたら、きっとこういうときのことを言うのだろうと、今にして思う。
 夕闇に染まる岩木山がそんな我々を遠くで見ているような気がした。

6 終わりに
 津軽を離れてもう17年になる。津軽で過ごしたのとほぼ同じ歳月になってしまった。仙台は気候といい利便性といい、本当に住み易くていい町である。こんな環境になれてしまった私には、もう津軽で暮らすことなどできないだろうと思う。でも、親兄弟はもちろん、昔の友達と話すときは今もどんな場所であれ必ず津軽弁に戻ってしまう。きっと、心の中では死ぬまで津軽人として生きて行くのだろうと思う。

 冷たく厳しい土地であった・・・。
 けれども、子供時代を子供のままに、伸びやかに育んでくれた大地であった・・・。

終わり

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