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私の故郷 津軽③~仙台弁護士会会報より~

引き続き、平成12年の仙台弁護士会会報に投稿した記事からの転載です。

今回は小学校3年生から6年生までを過ごした五所川原市(ごしょがわらし)というところのお話です。

---- 以下、転載 ----

4 五所川原市(ごしょがわらし)
 車力村から40キロ程南下したところに五所川原市はある。ちょうど津軽半島の付け根の辺りで、津軽平野のほぼ中心でもある。古くから交易の中心として栄えた商業の町で、私はこの町に来て初めて「デパート」なるものを見た。大きな病院やそれなりのコンサートホールもある。青森市や弘前市にはまだ車で1時間程かかるため、津軽半島の人にとっては長らくこの町が経済や文化の小中心であった。しかし、地方小都市衰退の流れには抗えず、この町も近時は活気を失いつつあるようである。

 私は車力村時代とは一変して、1キロ以上の道のりを歩いて通学する羽目になった。この辺りは雪が多い上にとにかく風が強く、冬はいつも地吹雪が横や下から吹き付けるので傘が役に立たない。小柄だった小学生の私は本気で吹っ飛ばされるのではないかと思ったことが何度もある。お隣の金木町(太宰治の生家があることで有名)では、最近、このような気候を生かして冬場に「地吹雪体験ツアー」なる企画を始めたそうである。私はとても「体験」したいとは思わないが、世の中、いろんな売り出し方があるものである。

 当時の私の家の裏手には広大な空き地が広がっており、かつ、すぐ脇を線路が通って土手になっていたため、冬になると土手が天然のスキーコースになった。いつも、土手の上から下の空き地に向かってミニスキーやプラスチックのソリで滑って遊んだものである。ミニスキーと言えばジャンプ台が「お約束」で、近所の子らと一緒になって雪ででっかいジャンプ台をこさえてはジャンプ比べをし、吹っ飛ぶように高く飛び上がっては雪の斜面に頭から突っ込んでいた。ミニスキーなど何本折ったか数えたこともない。

 小学校では野球部にも入った。下手くそで3年間補欠だったが、将来はプロ野球選手になりたいと恥ずかしげもなく公言していた。まさかこの年になって、弁護士をやりながらヘボ野球を続けていようとは想像もしていなかった。

 小学校を卒業する直前の12月、私は五所川原市を離れて弘前市に住むことになった。この位の年になるとさすがに転校がつらく、最後の登校日は泣く泣く皆と別れた。大人になってみると、車でほんの1時間程度の距離なのだが、子供心には今生の別れのようにさえ思えたものである。野球部の連中からはみんなで寄せ書きしたバットをもらった。私自身もそのバットに「努力」と書いたことをはっきり覚えている。あのバットは今どこにあるんだろう・・。

 何年か後、私が高校生の頃だろうか、久しぶりに五所川原市に立ち寄ってみたことがあった。その頃には裏の空き地はもうなくなっており、造成されて家が建ち並んでいた。なんだか、大事な物が1つ壊されてしまったような悲しい気持ちがした。

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