一時期、将棋や将棋界に興味を持ったことがありました。今でも将棋新聞なんかときどき買って眺めてます。
そのきっかけの1つになったのはこの本です。
著者は長く将棋連盟に勤め、プロ棋士を目指す少年たちを近くで見つめてきました。
将棋のプロ棋士になるには、奨励会という養成機関に入らなければなりません。
全国各地から神童と呼ばれた子供たち(多くは入会時点で小学校高学年から中学生)が試験を受けて奨励会に入ります。奨励会では6級から始まって所定の成績を上げると級が上がります。1級まで上がると次は初段です。最後は3段リーグと呼ばれる半年間のリーグ戦を戦い抜き、上位2名のみが晴れて4段となり、プロになることを許されるのです。
しかも、年齢制限があり、原則として26歳になる日が属する回の3段リーグが終わるまでに4段にならなければ退会となります。奨励会に入会しても、最終的にプロになれるのは5人に1人しかいないという厳しさです。
この本は、そんな奨励会員たちの姿、中でも、夢破れて奨励会を去っていった人たちの姿を描いたノンフィクションです。
少年の頃の夢を最後まで実現できるのは、きっとほんの一握りの人に過ぎないと思います。多くの少年たちは、どこかで夢に区切りを付けて現実の世界と向き合わなければならなくなります。でも、夢にかけた情熱が大きければ大きいほど、その作業はとても辛く、苦しいものになります。
筆者は、そんな「元奨励会員」達の、夢破れた後の生き方を、兄のような優しいまなざしで丁寧に追っています。
読んでいて涙をこらえきれなくなる場面が2つありました。
1つは、主役級の元奨励会員が、退会となる直前に、病弱の母親を連れて温泉に行き、夜に2人だけで静かな時を過ごす場面です。病気でもはや母親の先が長くないことを知っていて、でも何をしてやることもできず、更にはもう自分は母親の期待に応えることができそうもないことに気づいてしまっている奨励会員の息子。そんな息子を気遣いつつ、ずっと息子のために働き続け、体を壊して息子の世話ができなくなってしまったことで自分を責めながら、それでも最後まで息子の夢に寄り添おうとする母親。
社会の中で「夢」だけを頼りにひっそりと生きてきた2人が、「夢」の終焉(それは母親の命の終焉でもあったのですが)を間近に、相手を気遣い合いながら心静かに過ごす様子には、無情を感じさせられるとともに、無償の愛の尊さを感じました。
もう1つは、ラストシーンで、その元奨励会員と筆者が何年かぶりに再会を果たして別れる場面です。
暖かいタクシーに乗っている筆者と、寒空の下、立ちつくしていつまでも手を振る元奨励会員の彼。ここで、タイトルとなった「将棋の子」の意味が明かされます。
彼は夢破れて将棋と無縁の暮らしを長く続けていてもなお、少年の頃の純粋な気持ちを失っていなかったのです。いつまでもいつまでも、1つのことを純粋に好きで居続けることはとても難しく、尊いことだと思うとともに、そんな彼の純粋さをうらやましくさえ感じさせられます(おそらく、筆者もそう思ったことでしょう)。
私がこの本にこれほど感銘を受けたのは、私たちの頃の司法試験受験生の姿とどこか通じるところがあるからかも知れません。弁護士や裁判官・検察官になりたいという夢だけを頼りに、何年も何年も司法試験を受け続け(私たちの頃は合格まで平均6年と言われていました)、それでも試験に受からず、夢破れて去って行く人たちを数多く見ました。そんな姿と重なるところがあるような気がします。
さて、筆者はノンフィクションライターとしてスタートし、本書を含む何編かの優れた本を世に送り出した後に小説に転向しています。
小説家としての作品は人間の生と死、根源的な愛をテーマにしたものが多く、そちらの方にも好きな作品がたくさんあります。いずれ、それについても書いてみたいと思います。
そしてまた、今、宮城県からも奨励会に通っている子供たちが何人かいることと思います。彼らの夢がいつの日か叶うことを願わずにいられません。
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